果実が腐るまで

大人になったフリ

さっちゃん感想

ユカリフジでした。萌夏さん作・演出の舞台「さっちゃん」感想です。観劇してからずっと感想が書きたかったけど書ける気がしなくて、思い立つまで時間がかかりましたが、私の中に残しておきたいので書きます。私の勝手な解釈を含みます。

 

 電車の中で痴漢にあっている女子高生を助けたのは、彼女が憧れているゲイビデオのモデル、カズマだった。同じ日に、女子高生と昔同じクラスだったという「さっちゃん」が現れる。しかし、「さっちゃん」は明らかにあの時の同級生とは別人である。何故かカズマ(臼井徹也)に接触していく「さっちゃん」の正体は…?

 

 最初のシーンから気が重くなった。社会でうまくやっていけないやるせなさ、何の為に頑張ればいいのか分からない不安。彼女の着ていたサイズの合っていないブカブカのスーツが、それを表しているみたいだった。

 女子高生が「さっちゃん」に惹かれるのは必然だと思った。「さっちゃん」は女子高生にないものを持っているから。明るくて、好きな服を着ていて、やりたいことを素直にできて、思ったことをはっきり言える。周りからどう思われるかを気にしていない。自分に自信がない女子高生と正反対のキャラクターだ。

そんな「さっちゃん」は臼井徹也を脅してカズマとしてゲイビデオにもう一度出演させようとする。臼井徹也は現在は公務員として働いており、当然拒否する。しかし「さっちゃん」は彼の弱みに漬け込んで無理やり希望を叶える。

女子高生は林からDVを受けていた。過去の弱みを握られていて、抵抗するも金を巻き上げられ殴られて床に崩れ落ちる。そんな中での彼女の心の支えが画面越しのカズマくんだったのかもしれない。

このあたりから嫌な予感が止まらなくなった。さっちゃんはもしかして本当はいないのかもしれない。女子高生は絶対に学生ではない。

 

この物語は、女子高生とDV男の林しか最初から存在していなかった。臼井徹也も林との繋がりがある以上実在はしているが、女子高生と直接の繋がりはない。「さっちゃん」は女子高生になりきった社会人の彼女がつくりだしたもう一人の自分だ。

 

「さっちゃん」は臼井徹也にカズマを否定するなと叫ぶ。女子高生はカズマがゲイビデオに出たことをきっと後悔しているはずと思い込み、彼に同情する。それに対して臼井徹也はカズマであった過去を否定しない。この構造に震えた。

「さっちゃん」が女子高生に『いつでも正しい貴女が好きだよ』と言う意味。彼女にとって正しいか正しくないかが重要なのだ。自分がどうしたいかではなく、とにかく正しくないといけない。それが彼女が自分の人生を生きにくくしている原因なのに。

 

 登場人物が全員わたしで、怖かった。

男からの欲情に嫌悪するも抗えない、集団行動が苦手で引っ込み思案、好きなものに盲目、自意識過剰な女子高生。そんな自分が嫌になってなりたいと思ったのは性に奔放、行動力がある、冷静に物事が判断できる、自分の心に素直な「さっちゃん」。

自分は同性愛者ではないと自覚しながらも、ゲイビデオに出る決断をした臼井徹也。自分の汚い部分を見ないふりをして「普通」を語る林。

全員、わたし。逃げられなかった。

 

「自分がどうしたいのか分からない」臼井徹也の感情が1番リアリティがあったかもしれない。普通であろうとしたいけど、普通ってなんだろう。やってることが全部バレたらどうしよう。彼も自分の正しさと戦う人だと思う。自分はこういう人間です、とはっきり断言できる人が私には理解できない。

世の中には色んなことを考えずにすんなり飲み込める人と、飲み込もうとしても全てがつっかえてしまう人がいる。

ラストシーンの後、さっちゃんじゃない彼女が希望を持って生きてくれたらいいなと思った。

 

このように私がえぐられすぎたのは、出演者の皆様の演技が自然で素晴らしかったからです。萌夏さんを始めスタッフの方々の頑張りがあったからだと思います。みんなで何かをつくるっていいなぁ。私も頑張らなきゃな。

どんな映画よりも本よりも、今の私に響きました。優しく肯定されました。観に行ってよかった。